商法-法律-本 : 大衆の病理―袋小路にたちすくむ戦後日本 (NHKブックス)

大衆の病理―袋小路にたちすくむ戦後日本 (NHKブックス)


論理は秀逸。しかし、リーダとしての人格が問題。 - 15年以上前より著者は保守派論客として著名であり続けている。私自身氏の著書は相当数読み、本書は著者の思想の中核をなす一冊だろう。しかし、幾たびものテレビ・書籍媒体等での発言での疑問は、著者自身は「ほんとうに日本や組織を背負える人格=ノーブレスオブレッジは希薄ではないか?」という疑問だ。著者の博学、その理解力・分析力・論理構築力がケタ外れに優秀なのは間違いない。しかしメディアにて、少しでもその知力の弱い人間への粘着的攻撃と論破、と同時に「伝統との間で絶妙の均衡と採り続けるには秀逸な保守知識人がリーダあれば良い」といった発言には、思想家・統治者として「様々な人を受け入れていく度量」が欠落しているように見える。結局とのころ「凡庸な皆の衆は私のような優秀な人間のいう事を聞けば良い」という偏狭な生理から、ある種の選別的保守思想への帰結に到っていると思える。私自身組織の人事管理職であるが、著者を見てきた過程での結論は、大企業で部長職に付くことはできても(キャリア・実務力で必然そうなる)偏狭さから云わば上級管理職としての資質「人を受け入れマネジする度量」の欠落とともに、部下のいない主任研究員等へ降格させられる人格そのものだ。日本は「普通の国」になるべきは必然だが、その過程で頭角を現す著者を中心とした保守思想家に見られる「選民意識と偏狭さ」はなにがしかキナ臭い。保守思想そのものに否をとなえるわけではないが、ガバナンス人材の必須要件は「様々な人を受け入れる人格の幅」であり、企業の部長職も務まらない人間から派生する思想のキャパシティはおのずと知れ、これほど影響力をもって居る事自体、本来あってはならない。著者を中心とした「偏狭な人格」が保守オピニオンを語られている現状、日本はまだまだ貧困だ。

西部邁の保守思想入門 -  僕は西部邁氏の著作に触れたことのない人に勧める「西部邁入門書」としては『ナショナリズムの仁・義』という本がいいと思っていたのですが、久しぶりにこの『大衆の病理』を読み返してみて、本書こそ「西部邁入門」の書だと思い直しました(笑)。 前半部はNHKで放送された(!)西部氏の講義を論文にまとめたもの。 1~3章でまず「大衆」という言葉の定義を論じることにより、批判対象の実相を浮かび上がらせる。そして4章では「日本論」と「大衆論」の接点をさぐり、現代日本社会を痛烈に批判しつつ、「大衆論」の概念的枠組みと現実世界との繋がりを確認する。5~9章では「大衆社会」の病理性が詳しく分析され、そして10~結章ではその病理への処方箋としての「真正保守主義」が提示される。 「民主(平等)主義」と「産業(快楽)主義」に対する懐疑の精神を失った「大衆」が台頭するにつれて、現代社会は種々の「平衡感覚」を失うことにより精神的に凡庸化・低俗化してきた。それを乗り越えるには、「伝統」を頼りとしながら「平衡感覚」を探り、その努力を「ユーモア」にあふれた「散文の精神」によって表現しようとつとめる「保守主義」の態度が必要である。 内容的には以上のようなものなのですが、強調したいのは、西部氏の諸著作のなかでの本書の抜群の「わかりやすさ」です。西部氏の現代社会批判と保守思想の理論を、“体系的”かつ“手軽”に理解できる本というのは、これ以外に無いのではないでしょうか。 また、本書の後半部は佐伯啓思、間宮陽介氏との座談会になっており、ここでは「話し言葉」を通じて西部氏の人間的な魅力にも触れることができます。 なんてお得な本なのでしょう(笑)




大衆の病理―袋小路にたちすくむ戦後日本 (NHKブックス)