
望外のおもしろさ - ライブドア、カネボウ、メディア・リンクス、丸石自転車、駿河屋・・・ここ数年で発覚した上場企業での粉飾、または会計スキャンダルを取り上げ、ドキュメンタリタッチで描いていく。企業の粉飾事件は後を絶たないが、新聞・テレビのマスコミ報道は事件の全貌どころかその一部分しか報告していないことが本書を読み十分理解できる。検察・警察の捜査により逮捕者が出る部分というのは、事件の最終局面でしかなく、粉飾行為自体は少なくとも数年以上の長期にわたる行為であり、個人や逮捕者だけではなくもっと大勢の人々の(もちろん犯罪行為かどうかに関わらず)関わりの中で行われる行為であるのだ。当然、それだけの人々が関わる行為である以上、そこには人間ドラマが生まれる・・・。それはもう作り物の小説なんかではとうてい太刀打ちできないおもしろさなのだ。「事実は小説より奇なり」とは使い古された言い回しだが、本書はまさに実感させてくれる。自社株発行額を巧妙な手段により利益に見せたライブドア事件は監査法人との関係を中心に描かれる。創業百年を超える老舗企業カネボウは、つもりつもった粉飾額を隠しきれなくなり、ついには破綻する(ここに至る人間模様の凄さは決してマスコミ報道ではわからない)。新興IT企業のメディア・リンクスの事件は日本経済の暗部を垣間見せてくれる。大手IT企業も巻き込む大がかりな循環取引に手を染め、虚飾の業績を発表し続けるが、資金繰りに窮し始めると、増資・債券発行といった市場取引を駆使して資金の取り込みを始める。ブローカー、コンサルタント・・怪しげな人々が次から次へと現れ、上場企業を食い荒らしていく様は想像を絶する(海千山千とはよく言ったもので、破綻の最終局面ではよくぞここまでと言うほどの怪しげな人々が入れ替わり立ち替わり現れたことがわかる・・)。恐ろしいのはこの事件で登場する怪しげな人々が、続いて描かれる丸石自転車、駿河屋といった同様の事件でも登場し、暗躍していた事実だ。高村薫の「レディジョーカー」は、表経済の直下に潜んだ裏社会を描いた傑作だが、本書で現実にそうした社会が存在し、法律すれすれの部分で活動しているという事実は衝撃的だ。そしてそうした事件は何も一般人とは関係がないような遠い世界の話ではなく、個人による株式投資がブームの中、自分たちのすぐそばまで来ているということに暗然とする
経済誌の記者による、近年の経済事件のわかりやすいまとめ - 本書は、主に近年新聞を騒がせたカネボウ・メディアリンクスの粉飾決算事件、旧CTCの架空取引を取り上げたものです。会計を専門としていない人でも、当時株式投資をしていたり、事業再生に興味があった、あるいは同じ業界にいた人は、事件があったことを鮮明に覚えていることと思いますが、本書はその事件の人間関係を中心に、時系列を整理して事件を追っていきます。読み終わると、単発的な新聞報道ではよくわからなかった事件の構造が明快に理解できます。若干の難点といえば、本書は若干ドキュメンタリー風で、かつ人間関係が絡み合っているところがあります。特にメディアリンクスの案件は「一連の闇社会の暗躍の一つ」として取り扱っていることから、関係者が過去起こした他案件と絡めて紹介されたりして、話が錯綜していますが、その部分については特に理解しなくても問題ないでしょう。本書では、サラリーマンの事なかれ主義、役員の地位が上がることによる傲慢さ、創業者の金銭欲や焦り、無知が事件を進行させていく(=決して偶然一過性で事件が起きたわけではない)という視点で事件が描かれています。切り口の妥当性は当事者しか分かりませんが、このような視点から本書を読むのに特別な専門知識は必要なく、経済誌の記者らしく、よくまとまっているように感じました。
粉飾−提示された課題 - さて、何とか「粉飾の論理」高橋篤史 著 東洋経済新報社刊 を読み終えた。 ここは、実名を出せばキリが無く要約だけ語りたい。 1 伝統的粉飾 ・不良在庫飛ばし、またはキャッチボ−ル。 ・非連結対象会社への損失移転。 ・監査法人との長期的馴れ合い。 ・役職員の企業への誤った忠誠心。 2 IT企業の粉飾 ・無形商品(システム一式、メンテなど)の循環取引による架空計上。 ・MSCB・第三 者割り当て等の増資濫用。 ・甘い監査法人への乗り換えを繰り返す。 ・粉飾を継続した ままの新規上場の認可。 ・上場後に反社会的勢力に喰い物にされる。 排除すべき課題としては ・架空循環取引を受ける大手企業子会社の存在。(利益中抜き) ・些細な動機から、雪だるま式の損失への拡大前での早期発見。 ・監査法人のクライアント対応−共犯へ誘導され 深みにはまる。 ・特殊法人民営化に伴う、監査法人の拡大志向・営業強化。 まとまったかどうか・・・・御批評を願いたい。
カネボウとライブドア - ライブドアや村上ファンドの陰に隠れた感のあるカネボウの粉飾の実態は、新聞や雑誌だけでは一貫性をもってとらえられなかったが、この本により、全体像が俯瞰できた。終章の「カネボウ事件の関係者は誰もが平凡なサラリーマンにすぎなかった。」というところで、大きく嘆息してしまった。カネボウの手口は、古典的といえるもので、目新しいものではない。よくあんなに長い間もったものである。とりたてて豪奢な見返りがあるわけでもないのに、この苦闘は、知れば知るほど、日本の会社のこの手の話と、アメリカのそれの懸隔に愕然とする。アメリカの会社が優れているということではなく、なぜか、悲惨さの色調が少ないのだ。